山王プロダクション・劇団日本児童 代表 長田 武尚です。
戦後60余年、昭和時代を過ぎると、あの戦争の悲惨さを体験し、生々しさを後世に伝え語れる人が歳月と加齢と共に一人減り二人減りと、この頃は寂しさを感じております。
私もいずれこの方の仲間入りをする年齢だが、戦争を体験した一人として「平和」について話しかけるブログの頁にしたいと考えております。
当時は、お互いに精一杯生きてゆくことが大変で戦争に勝つことが国家の目標でした。まず第一の難問は食べることでした。人間として最低の食糧確保は並大抵の事ではなく、当時はお金(現金)は現在と違って、あまり流通性がないので、各家庭では苦労の毎日でした。私の母親は、毎日家族の食事の心配で、頭を悩ましておりました。ある日の夕食のメニューでしたが、「さつま芋三本、もろこし二本」を家族七人で等分に分けて食べました。母は、この食材を入手するのに、そっと誰にも分からないように箪笥の奥から数少ない着物の中から一枚取り出し、その他を含めて食材を入手した情けなく寂しい場面を目にした記憶があります。
この続きは次の回に
※当時は物を求めるのに現金はあまり歓迎されませんでした。
特に農家では食品と物を交換する=つまり物々交換時代でした。
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